次回に書きますが、射楯兵主神社へ向かう道中にある稲荷神社になります。
赤鹿神社からだと大通りに戻ってから行くのがわかりやすいかも。
自分は赤鹿神社の横の道から行ったから、途中で迷いましたね。
元塩町稲荷神社にて
道中記

これが神社の前にあるっていうね。
たぶん、来る人の大半はこちらに目を奪われていそう。
道中に関しても射楯兵主神社の参道の方に目が行くでしょうね。

一番奥にあるのが射楯兵主神社。そして右に移るのが鳥居の柱。
そして、その隣に元塩町稲荷神社があります。
元塩町稲荷神社


鳥居は新しい感じがありますね。
狐像


後ろ足の切れ込みが深いな。だいぶ深々と割れ目を入れたみたい。
今にも立ち上がれそうな見事なお座り。
像自体は見た事があるタイプですが、場所によって小さい差異があるのが面白いですよね。口の髭の付け方も髭というより刺青のような不思議な付け方。そして瞳と咥えている物が金色なのも、ここの稲荷神社らしいとも思えます。
読み解き・考察 寶國大神
妙にこの小さな神社が気になって調べましたが、兵庫神社庁にも載っていなかったので自分で読み解いてみることにしました。

目茶苦茶霊験あらたかな感じですが、そうなるのも頷ける激動を生き抜いてきた神社だとわかります。
寛政10年の午年——この時の姫路藩の状況は借金が膨れ上がり73万両(現在換算だと約1兆5000億円)となっていました。当然の流れとして姫路藩は金策に走ります。その一つとして使われた政策が御用金(強制借金)。城下の豪商や農民たちに行われますが、返してもらえるかわからない実質踏み倒しの危険性を大きく孕んだものでした。
そんな時期に勧請されたのが、この稲荷神社になります。
恐らく勧請したのは姫路藩城下の豪商・商人たちの組合。理由としては正一位ということ。勧請するにはお金がかかります。さらに正一位という称号もつけるとなると高値になり、合計すれば現在価値換算で数百万円ほどかかります。そうなると当然農民や町人達では払えません。なので払える人間は限られていたはず。
加えて1人では商売が立ち行きませんから、みんなで出し合って結束を高めるのが大事だったのではと思われます。
さらに興味深いのが、11月豊日に建てられたという記録です。
11月は米で経済が回っていた時代の決算時期です。金銭が入ってくる時期でもあり、一年の大仕事が終わった時期でもあります。そこで豊日(吉日)に建立したのでは。
みんなを労う優しい商人達・・・というよりも、藩の借金を心配している中でさらに恐ろしい目に合うのを避けたかったのでは? と考えております。
避けたかったのは打ちこわし
教科書で見た事がある町人・農民が蔵を襲撃しているアレですね。
豪商・商人は農民や町人を敵に回すのは避けたい。ならば、豊日に建てたお祝いとして酒や食事を振舞って仲間意識を芽生えさせたのでは? と考えております。数億円失うより気前よく数百~数千万使った方が評判と資産の防衛が出来ますから。
そこから出した結論としては、
「沢山儲かりますように!」 みたいな気楽なお願いではなく、
「藩の巻き添えを食って我々が破産しないよう儲けさせてください!」 といった必死な懇願が最初だったのでは。
神の名前もそうだと思うんですよね。
寶は宝の正字ですし。宝・財宝を意味しています
國=藩という意味ではなく、自分達の住んでいる場所という意味での國
我々の経済圏に富が集まりますようにという願い+稲荷で「寶國大神」もしくは「寶國稲荷大明神」となったのでしょう。
読み解き・考察 太麻大神
明治4年の2月・吉日。
明治……廃仏毀釈や神仏分離令が出ていた時代の初期の方ですね。
今では稲荷大明神と書いてあったりしますが、当時だと大明神は仏教色が強いと捉えられて破壊される危険もありました。マジでなんだあの時代。
そんな時代に祀られた太麻大神。
恐らく対応しているのは日本神話の「天太玉命」 産業の神の一柱ですね。
それと姫路は当時繊維産業が盛んで「麻」 を大量に使用しておりました。
天太玉命は麻をもたらした忌部氏の祖と考えられておりますので、ちょうど良かったと思われます。
つまり明治政府対策で生み出しつつも、ちゃっかり自分達の産業の発展も願っていた。と考えております。
江戸時代と違って結構羽振り良さそう。富国強兵の時期で大量の服(軍服など)が必要でしたから、姫路の木綿加工で培った技術が活かされ麻の加工でも大活躍をしていそう。
読み解き・考察 陸之守・大寄大神
オリジナルが出てきましたね。
ただ、漢字と時代から読みやすいと思います。
陸之守はそのままで「陸の行路を守る」
この時代ですと鉄道が走っていて、陸路を使った商売が盛んになっていたのでしょう。
第一次世界大戦による特需がありましたからね。「どうだ明るくなったろう」の時代です。
大寄もこれまたそのまま「大いに寄せる」
作れば売れる状況を支えるためには人や物資・物流が沢山必要になります。
それを集めるために生み出された神でしょう。江戸時代の時とはまるで違いますね。破産から身も守るために財を求めていた時期から、財を増やす時期になるとは。
稲荷神社自身も驚いていそう。
そして時期が大正6年3月16日。
たぶんなんですけど、節税対策も兼ねていたのでは? と考えております。
大正時代にもなると所得税や法人税がありましたから。
国に納めるよりも神社に投資すれば「地域への寄付金」という経費になったのでは。祭とかすれば「組合員への福利厚生」とかになるのかな。
どちらにせよ現金が地域経済で回り文化も発展しますし、その金が姫路の立派な神輿などになったのかもしれません。
「節税に使うとは罰当たりな!」と思う人がいるかもしれませんが、この稲荷神社を通した投資のお陰で地域のコミュニティが強くなれた可能性があったとも考えられます。
ここまでパーフェクトな発展の仕方しているな、この稲荷神社。バブルを何回経験しているんだろう。
読み解き・考察 まとめ 万能の神と言われるのも納得
逆境染みた寛政時代からバブルにバブルを味わってきた元塩町稲荷神社。
姫路の発展の度に神の数を増やしながら、産業を守り続ける力になってきた。
戦後復興時期に移転してからもずっと姫路の復興と発展を見守ってきたのでしょう。
個人の考察ですが、とても面白い時代を駆け抜けてきた稲荷神社かと思います。
所在地:〒670-0015 兵庫県姫路市総社本町22
