白鳥町稲荷神社にて

狐像

 岐阜県の稲荷神社は初ですね。
 石川県に住んでいるので距離的に近いように思っていましたが、意外と遠い。
 しかも、車で行ったのですが大変でした。

白鳥町稲荷神社にて

1.道中記

 福井県から158号線を使って岐阜県郡上市へ向かいました。
 九頭竜川を含め九頭竜湖はとても綺麗でしたが……道路はそれこそ竜が天に昇る時みたいに曲がりくねっていること。Googleマップで確認した時は最後らへんがジェットコースターみたいなカーブの連続だなと思っていましたが、とんでもない勘違いでしたね。
 想像以上に全部の道がくねくねしていました。しかも、途中で選択できましたがどちらもくねってます。行き帰りで違う道を使いましたが、変わらないハードさです。

 そんなハードな山越えをしてから到着した郡上市は、嬉しくてたまらなかった。
 オアシスに見えましたよホント。
 
 ※熊鈴をつけた子供達が帰っていたので、熊の出没があったのかもしれません。自然散策をする人はご注意を。

2.稲荷神社

 ちょっと不思議な構成がしてありました。
 舞殿?神楽殿? どちらにせよなにかしらの儀式用の建物ですかね? それが神社を隠すように建っていました。

 石柱ではなく石に直接彫ってあるタイプです。

 威勢が良さそうな手水舎の龍。

3.歴史

 ざっと整理・翻訳

 白山開祖・泰澄の奇跡(養老6年 / 722年)
 元正天皇が病気になった際、白山信仰の開祖である「泰澄大師(たいちょうたいし)」が宮廷に呼ばれて祈祷を行い、天皇を治療した。その帰り道、泰澄が白山へ戻る途中でこの美濃の地(郡上)を通りかかった。

「稲有砂(いなりさ)」の誕生
 当時、川原に砂地(小沙漠)があり、その中に小さな沼があった。泰澄がそこに自ら稲の苗を植えたところ、見事に大きく実った。地元の村人たちは感動し、小さな祠(ほこら)を建ててその稲穂を祀った。それ以来、この場所は「稲有砂(いなりさ / いなりすな)」と呼ばれるようになった。

 荒廃と再建弘仁5年 / 814年)
 その後、祠は壊れて稲穂も失われてしまったが、嵯峨天皇の時代(弘仁5年)に祠を再建した。その際、「もともとここは『稲有砂』と呼んでいたのだから」という理由で、京都の稲荷山にいる「稲荷大明神(倉稲魂命)」を勧請して氏神とした。

 伏見稲荷神社からの勧請(明治26年 / 1893年)
 さらに明治26年になって、改めて京都の伏見稲荷神社から正式に御神体を分けてもらい、現在の祭神として整えた。

 約1,200年の歴史! 
 いや、凄いですね。小さい祠の時は白山信仰と結びついていたのかもしれませんが、その後に稲有砂という名前を経由して稲荷神社になるとは。
 神社の変遷をたどるのも面白い。

4.鉄骨柱の拝殿

 赤い鉄骨!
 崩れる心配がないぐらいの頑強な柱で支えられていました。
 明治26年以降にも歴史が色々あったんだろうなぁ……そうじゃないと鉄骨にならないもん。

5.狐像

 さて、肝心の狐像。
 見たことあるタイプ……のようでそうでない狐像ですね。
 ベースは同じなんですよね。榮稲荷大明神のモノと。
 ただあっちのよりも圧力がなくて柔らかい感じがする狐像ですね、地域差が出ている。
 前肢の部分の溝が薄くなっているのを見るに、この稲荷神社と同じように歴史を歩んできたんだろうな。何十年とまた経っても存在していそう。

 久しぶりに神社の魅力にやられた気がします。
 長い歴史の変遷を体感させてくれる素敵な稲荷神社でした。

所在地:〒501-5124 岐阜県郡上市白鳥町大島801

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました